Arxcs Magazine Vol.049「人生一度きり、がっつかないと。」

【名前】米倉貫太
【経歴】流経大柏高校→日本体育大学
【外部活動】国士舘高校スタッフ

高校時代について

-サッカーを高校で引退した経緯について教えてください。

そうですね。

高校2年生の時、グロインペインという怪我をしてしまい、そこからプレイヤーではなく、指導者になりたいと思うようになったことがきっかけです。

高校へ入学する前はいいところまで行ったり、自分としても結果を残せていたと思います。

調子が良すぎて、天狗になっていたと思います。

そんなとき、初めて挫折したのは高校1年生の時です。

僕は、千葉の名門校流経柏に進学したのですが、そのときにこれまでが「井の中の蛙だったな。」と実感しました。

その伸びた鼻をへし折られたことによって、徐々にではありますが、謙虚な姿勢を持つことができるようになりました。

そんな矢先に、股関節を怪我してしまいました。

1年間の長期離脱をして、2年生の時はほとんどサッカーができませんでした。

そして、プレーヤーからは離れて、選手ではなく指導者になろうと思ったのが経緯です。

本人提供

大学サッカーについて

-どのように指導者になろうと考えましたか?

とりあえず行動するしかないなと思っていて、大学が決まってからは、どこかでサッカーの指導者をやろうと考えていました。

大学1年のころは海外に行きたいという意欲が強くて、海外(南米)に行こうと思っていましたが、コロナの影響で行くことが出来ませんでした。

そんな時、神奈川県でエスペランサFC(アルゼンチン)というチームがあるのを知りました。

それこそ、南米を再現したかのようなチームでした。

そこで1年間学びたいということも含め、試合にも出させてもらって、昇格したり、アシスト王になることができました。

本当にアルゼンチンに行ったかのような経験ができて、僕が描いている、指導者としての資質、能力は得られたと感じました。

それから本格的に指導者として現場で指導をしたいと思い、恩師である本田先生(現:国士舘高校テクニカルアドバイザーである本田裕一郎氏)に連絡しました。

正直難しいかなと思ったのですが、本田先生は僕のことを否定するとかではなく、指導者として受け入れてくださりました。

大学サッカーをやらなかったのは怪我が理由にはありましたが、それを理由にはしたく無くて、ただただ指導者になりたかったんです。

本当にそれだけですね。

-他の学生とは違う意思決定をしたと思いますが、今感じていることはありますか?

正直この4年間、僕は他の学生よりも相当経験したと思っています。

というのも、普通の大学生活で大学のサッカー部に入って、というのは多くの人が経験するものだと思います。

しかし、僕は大学2年生くらいからずっと本田先生の近くにいることができて、ほかの人とは違う良い経験をしたと感じます。

高校の時からお世話になった先生で、なおかつその人と一緒に仕事ができることは、ものすごく嬉しかったです。

隣で新たなことが学べる、喜怒哀楽を共にできるっていうのは、この2年間、すごい充実していたと思います。

-指導者になって成長を感じたことを教えてください。

人間性は特に変わったかなと思っています。

高校生の時は相当迷惑かける問題児でした。

高校生活を思い返せばすごい反抗したり、今じゃあり得ないことが多々起こったりしていました。

なので、人間性が良くなったと指導者の方におっしゃっていただくことが多いです。

でも、自分の中では根っこの部分は変わっていなくて、本田先生はそういうところも評価してくださっていて、ものすごく寛大に受け入れて下さいます。

本田先生といることでより人となりというか、人間として大切なことを指導者をやっている今も教えてもらっています。

-本田先生のすごいところ、これは真似できないと思うところはありますか?

一言でいうと情熱です。

これはほかとは比べ物にならないです。

今75歳になってもグラウンドに立って、指導されている姿は本当に尊敬しています。

本田先生と自分は監督と選手という立場でいましたが、今はもうチームのスタッフという同じ立場にいます。

近くにいて、初めて分かったんですけど、良いことばっかりじゃないんだと気づきました。

指導者として、高校3年間という華やかな世界に全てを注ぐというか、選手たちの人生を変えてあげよう、彩ってあげようっていう気持ちはどの指導者よりもすごいと感じます。

しかし、本田先生も悩むときは悩みますし、僕からしたらものすごく遠い存在なんですけど、とても人間味溢れるなと思いました。

この情熱というところは、真似できないなって思います。

-指導者の魅力を教えてください。

自分は高校サッカーを指導しています。

人間の中で一番エネルギーがある年代は15歳〜18歳だと思っています。

高校年代の指導者をしていて、一緒に青春を感じられることはとても魅力だと思います。

高校生自身が何か一つの目標に対して、本気で取り組む姿勢というのは忘れてはいけない気持ちですし、生涯持ち続けたいと思っています。

なので、また高校生に戻れる感覚というか。本当にワクワクすることが出来て、楽しいです。

このような経験をずっとできるのも指導者の魅力だと感じます。

本人提供

これからについて

-卒業後のキャリアについて教えてください。

今は指導者として国士舘高校に携わっていて、同時に指導者のB級ライセンスを取りに行っています。

また、縁があって東京国体の分析に携われていて、大学生でこのような経験ができたことはとても大きいと思います。

僕自身がこのような経験を通して何になりたいかというのを考えたときに、22年生きてきた中で、サッカーを生業として生きていきたいと思っています。

それが今の夢です。

僕は選手では食べていけないので、指導者として食べていけるようになりたいです。

今目指しているのは、分析官・アナリストという分野で生き残るっていうのを考えています。

しかし、大学4年生になってまだ進路は何にも決まってないですけど、卒業後は目標に必要なことを得るために行動したいと考えています。

-最後に、体育会学生にメッセージをお願いします。

本田先生と関わっていて、その影響で論語を少しやっているんですけど、

「子曰く、これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。」

という言葉があります。

これは何事も楽しまなきゃいけないよっていう意味です。

どんだけ知ってる、知識のあるやつよりも、その分野において楽しんでいる者が強いよ、というのを本田先生はよくおっしゃっています。

みんな平等に与えられているのが人生で、じゃあその人生において何かを特化することが重要だ、やるなら一番になれ、と。

それを聞いて、確かに人生一回だし、がっつかないともったいないなと感じました。

だからこそ、できることは全部やりたいと思っています。

もう大学4年生で、1年生に戻ることはできないので、何かできることがあるなら、一回やってみて、やってみた先に違う道が見えたり、これでいいんだっていう道が見えたりすると考えています。

人生一度きりだからこそ、「がっついていこう」ということを伝えたいです。

ー本日はありがとうございました。

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