【名前】草場勇斗
【経歴】立正大学淞南高校サッカー部→桃山学院大学サッカー部→FC EASY明石02
大学サッカーについて
ー桃山大学サッカー部に入った経緯を教えてください。
そうですね。
僕は、高校卒業後にプロ内定ということを目指していましたが、高校時代それほど活躍もできず、高卒プロが叶わなくて、サッカーを続ける手段として大学サッカーを選びました。
そして、大阪体育大学にセレクションを受けにきましたが、見事に落ちました。その後どこにいこうか考えて、大阪体育大学と同じ関西1部リーグだった桃山学院大学に指定校推薦で進むことを決めました。
ー桃山に入った時の印象はどうでしたか?
指定校推薦で入学したので、最初は一番下のカテゴリーからスタートしました。
その後、社会人のカテゴリーに上がり、何度かトップチームにも参加することができました。
そこで感じたのは、上には上がいるということです。また同じように下には下がいます。
だからこそ、自分で目標をブラさずに「ちゃんとやり続ける」ことが重要だと感じました。
ー大学サッカーの3年間で、自分自身の変化や成長はありました?
大学サッカーでよく言われますが、人間的に成長したと思っています。
大学サッカーが始まり、「人間的成長」と口酸っぱく言われるようになり、人間的成長について考えるようになりました。
そこで出た「人間的成長とは」の僕なりの答えは、「自分と向き合う」ということです。
例えば、この大学3年間上手くいかないことの方が多かったのですが、そういった中で試合に出ていない時にどのように振る舞うのかとか、それがチームにどのような影響を与えるのかとか。あとは学年が上がるにつれて下の学年とどう接するのかなど。
そうした自問自答をした結果、上手くいっていない時に練習で一番声を出したり、試合には出られなくても運営や準備を手伝ったり、学年リーダーをやったり、noteで発信したりするようになりました。
このように大学サッカーの3年間で自分のことだけで「自分と向き合う」のではなく、自分が周りにどのような影響を与えるのかという面で「自分と向き合う」ことが出来るようになりました。
これが僕が大学3年間で成長した人間的な成長だと感じています。
大学サッカーから社会人サッカーへ
ー今シーズンから大学4年になるタイミングで、大学サッカーから社会人サッカーに移った経緯やその当時の想いを聞かせてください。
実は社会人リーグに移るまでにも、チームには色々と迷惑かけてしまいました。
まずは、3年生でキャプテンも決まっていたタイミングでサッカーを一度辞めました。
そして、その後またチームに戻り、次はサッカー部をやめ、関西2部の社会人リーグに移りました。
これら全ての意思決定に共通して言える判断軸は、”日本代表を目指すか目指さないか”です。
そして今回社会人リーグに移ったのも単純にプロになる可能性を桃山学院大学サッカー部でプレーするより感じたからです。
その当時の想いは、一度は日本代表を目指すことを諦めましたが、もう一度本気で目指したいという想いです。なので遠回りに思われるかもしれないが、環境を変える決断をしました。
Arxcsについて
ー話は変わりますが、Arxcsに入って変わった価値観や成長はありましたか?
マインドが大きく変わったと感じています。
プロサッカー選手は個人事業主であると言われるように、自分もいちサッカー選手として自分の人生を自分で切り開いていくというマインドに変わりました。
ただ誰かに合わせたり、誰かを頼りに生きるのではなく、自分の幸せは自分で掴みにいくんだというマインドになりました。
ー桃山学院大学サッカー部というコミュニティだけに入っていたらそれは難しいですか?
そうですね。
やはりサッカーだけのコミュニティに属していたら、基本的にサッカーの情報しか入ってこないので、サッカー部にだけ所属していたら難しかったと感じてます。
実際にサッカー部の外の世界を目の当たりにして、自分の無知や無力さを知って、危機感があるので、Arxcsでビジネスについて学びながら、サッカーの外の世界も自ら見続けようと思います。
ー今後のキャリアについてはどう考えていますか?
一番近い目標は来年にJ3以上のチームでプレーするということです。
その先は、自殺者の問題や貧困などサッカーを通して解決したい社会課題や理想の未来はあるのですが、どうなっているのかは全くわかりません。
しかし、そういった見えていない未来に対して今できることはたくさんあるので、Arxcsで学びながら、やるべきことをちゃんとやり続けようと思います。
ー本日はありがとうございました。